出会いの裏側
2004年4月7日W不倫しています。
彼女をどんどん好きなっていく。
そんな彼女との出会いはある日偶然に訪れた。
でも、その偶然は、その時以前から、そして今でも続く私の置かれた境遇があったからだと思います。
妻とは意志の断絶が続いていました。何年になるだろうか?
もう5,6年前からでしょう。ずいぶん経つと思います。妻からの無視、無言が続いていました。
私が悪かったのでしょうか?
自分で言うのもおかしな話だけれど・・・
家庭にはきちんとお金を入れていました。
飲んで使い果たす事も無い。
ギャンブルに現を抜かす事もしない。
浮気もしていなかった。
妻を顧みないような女遊びもしていない。
けれど、全く意思の疎通が出来なくなっていました。
妻の言葉が理解できなくなっていました。
良かれと思って私のする事は、妻にとっては迷惑そうでした。
「余計な事はしないでほしい」
私が行動した結果が全て気に入らなかった様です。
何度も話し合いをしました。結果、私が謝る事となっていました。
「これから気をつけるようにするから・・・」と。
最初はそれで何ヶ月か持ち直す事が出来た様に思います。
ところがまた、同じような繰り返しが何度か続くのです。
「何故だ?」と私が怒ると、突然何も話さなくなる。気に入らない事が多いようである。
「具体的に何がいけないのか話してほしい」
「いつも言っているのだから、気が付かないほうがいけない」
「気が付かなかったときは教えてほしい」
「そんな事いちいち面倒で言えない」
「たとえば何なのか」
「玄関の鍵を閉め忘れる事がある。靴は脱ぎっぱなし。新聞を広げっぱなし。庭木の枝切り、芝の手入れ、家の外壁の塗り直しは何回言ったらやってくれたの・・・」
「私だって忙しい。やるときは余裕のあるときじゃなければ・・・・それがシカトされ、無視されるる原因なのか」
「自分がいけないのだから、もうあなたに何を話しても無駄だから」
何年かの間に、何回かそんなやり取りが続きました。
しばらくして、私の事に対しては、完全に無視するようになりました。
体調を崩し熱を出し唸っている時も寝室で平然と寝ていました。
子供の学校の行事の事も何も話さなくなりました。
学校の行事などは子供に私から聞く始末です。
妻の言葉に対して、生返事が多かったのは事実であったと思う。
結局私が煮え切らない、いいかげんな性格だからなのでしょうか?
諦めました。
妻と顔を合わせるのが怖くなりました。
仕事は早く終わっても途中で時間を潰し、妻が寝室に入った時間を見計らって帰宅する。
土日は仕事といって、朝から会社や、他の場所で時間を潰す。
そんな毎日が続いていました。
そんな妻と、私との間に挟まれて、子供ももううんざりしているようでした。
私が家を出て別々に暮らしたほうが良いのではないか、ということは子供たちには話をしていました。
上の子は涙を溜めていました。だけど仕方の無い事だね、と言ってくれました。
下の子はどちらでも良い。と、意外と醒めています。
下の子が中学に進学した時点で家を出ようと決心しました。
そして、その時から今、約一年半経ちました。
子供たちとは、ほとんど毎週末に会っています。
母親には内緒にしていますが、多分、私と会っていることは判っていると思います。
幸か不幸か意思の交換を拒否しているので何も言わないし、言えないのでしょう。
別居する約半年前、妻からの無視が続くようになって何年か経ったある日。
その日は私にとって特異日だったに違い有りません。
私の人生にとって大きな影響を与えてくれた人。
そんな人に私は出会う事が出来たのです。
彼女をどんどん好きなっていく。
そんな彼女との出会いはある日偶然に訪れた。
でも、その偶然は、その時以前から、そして今でも続く私の置かれた境遇があったからだと思います。
妻とは意志の断絶が続いていました。何年になるだろうか?
もう5,6年前からでしょう。ずいぶん経つと思います。妻からの無視、無言が続いていました。
私が悪かったのでしょうか?
自分で言うのもおかしな話だけれど・・・
家庭にはきちんとお金を入れていました。
飲んで使い果たす事も無い。
ギャンブルに現を抜かす事もしない。
浮気もしていなかった。
妻を顧みないような女遊びもしていない。
けれど、全く意思の疎通が出来なくなっていました。
妻の言葉が理解できなくなっていました。
良かれと思って私のする事は、妻にとっては迷惑そうでした。
「余計な事はしないでほしい」
私が行動した結果が全て気に入らなかった様です。
何度も話し合いをしました。結果、私が謝る事となっていました。
「これから気をつけるようにするから・・・」と。
最初はそれで何ヶ月か持ち直す事が出来た様に思います。
ところがまた、同じような繰り返しが何度か続くのです。
「何故だ?」と私が怒ると、突然何も話さなくなる。気に入らない事が多いようである。
「具体的に何がいけないのか話してほしい」
「いつも言っているのだから、気が付かないほうがいけない」
「気が付かなかったときは教えてほしい」
「そんな事いちいち面倒で言えない」
「たとえば何なのか」
「玄関の鍵を閉め忘れる事がある。靴は脱ぎっぱなし。新聞を広げっぱなし。庭木の枝切り、芝の手入れ、家の外壁の塗り直しは何回言ったらやってくれたの・・・」
「私だって忙しい。やるときは余裕のあるときじゃなければ・・・・それがシカトされ、無視されるる原因なのか」
「自分がいけないのだから、もうあなたに何を話しても無駄だから」
何年かの間に、何回かそんなやり取りが続きました。
しばらくして、私の事に対しては、完全に無視するようになりました。
体調を崩し熱を出し唸っている時も寝室で平然と寝ていました。
子供の学校の行事の事も何も話さなくなりました。
学校の行事などは子供に私から聞く始末です。
妻の言葉に対して、生返事が多かったのは事実であったと思う。
結局私が煮え切らない、いいかげんな性格だからなのでしょうか?
諦めました。
妻と顔を合わせるのが怖くなりました。
仕事は早く終わっても途中で時間を潰し、妻が寝室に入った時間を見計らって帰宅する。
土日は仕事といって、朝から会社や、他の場所で時間を潰す。
そんな毎日が続いていました。
そんな妻と、私との間に挟まれて、子供ももううんざりしているようでした。
私が家を出て別々に暮らしたほうが良いのではないか、ということは子供たちには話をしていました。
上の子は涙を溜めていました。だけど仕方の無い事だね、と言ってくれました。
下の子はどちらでも良い。と、意外と醒めています。
下の子が中学に進学した時点で家を出ようと決心しました。
そして、その時から今、約一年半経ちました。
子供たちとは、ほとんど毎週末に会っています。
母親には内緒にしていますが、多分、私と会っていることは判っていると思います。
幸か不幸か意思の交換を拒否しているので何も言わないし、言えないのでしょう。
別居する約半年前、妻からの無視が続くようになって何年か経ったある日。
その日は私にとって特異日だったに違い有りません。
私の人生にとって大きな影響を与えてくれた人。
そんな人に私は出会う事が出来たのです。
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